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『痴呆を生きるということ』(小澤勲)

小澤勲『痴呆を生きるということ[電子版]』(岩波新書(新赤版))

 収録作:表題作

 区分:新書

 

 

 

感想:

 認知症について軽々しく知っているとは言えないが、身内に認知症の人間がいるため、間近に目撃している。この本は「認知症の人」に寄り添う視点で書かれている。小手先のテクニックではなく、心と心の繋がりから、認知症の人々との関わりを見つめ直していく。

 一見意味不明な「もの盗られ妄想」も合理的な心の働きなのだと、筆者は述べる。

妄想というかたちをひとまず括弧に入れて考えてみる。そうすると、この二つのこころ(引用者注:喪失感と攻撃性)は、自分がとても大切にしていたものを盗まれた時の、だれでもが感じるごく当たり前の感情であることがわかる。

(ルビ・圏点は省略)

 あったはずのものが、ない。不可解な状況が、喪失感と攻撃性を抱えた心をして、妄想に走らせる。幸いにも身内の認知症患者に「もの盗られ妄想」は見られない。「もの盗られ妄想」は日本では女性に多いというから、私の身内の男性には発現していないのかもしれない。できれば、これからもずっと。

 認知症の「中核症状」は、この本の底本が出てから十年ほど経つ今でも治すことができない。ただ、この本は「治す」ことを目的としているものではなく「寄り添う」ことを目的としているもので、その精神性に古さはなく、今なお示唆に満ちている。古代から「寄り添う」ことで人々は癒やされてきた。「寄り添う」ことで症状が改善するケースもあるという。結局のところ、彼らを下に見ることなく、同じ人間として、サポートすべきところだけサポートするという姿勢が大事なのだろうか。

 この本については別のところで触れるつもりなので、ここでは詳しく書けないのが歯がゆい。物足りないが、ここで筆を置く。