『名探偵モンク モンク、消防署に行く』(リー・ゴールドバーグ/高橋知子)
リー・ゴールドバーグ作/高橋知子訳『名探偵モンク モンク、消防署に行く』(ソフトバンク文庫)
収録作:表題作
区分;小説/ミステリ
※ネタバレはありません
「モンク、消防署に行く」あらすじ
百以上の恐怖症を抱えた元刑事・エイドリアン=モンクは、犯罪コンサルタントとしてサンフランシスコ警察に雇われている身。そんなある日、アシスタントのナタリー=ティーガーの娘、ジュリーから犬のスパーキーを殺した犯人を突き止めてほしいと依頼される。そんな中、エスターという女性が不審火によって焼死して――
「モンク、消防署に行く」感想
この本は実を言うとかなり前から本棚にしまってあったのだが、しばらく放置したままにしておいた。最近はもっぱら外ではKindleを使っているため、本の実物を手に取っていないのである(買うペースに読むペースが追いついていない。一冊読む毎に二冊買うペースだ)。そのため、この作品は風呂の中で大半を読み、この感想を書く少し前に十分ほどかけて読了した形。私は本が好きだが、読書家ではない。なので家ではスマホゲームに勤しんでいる。
さて、そのような事情はさておき、では、なぜ今更この本を手に取ったのだろうか。
そこには深い深い理由が隠されていたのである――すなわち、ドラマをすべて見終わってしまったという、深刻な理由が。そう、この本はドラマが原作のオリジナル小説。一部脚本を手掛けた筆者がノベライズしたそうである。
モンク・ロス症候群(笑えるミステリを求めるようになる)に陥っていた私は、シーズン6まで見た辺りで買い揃えた「モンク」の文庫2冊を本棚から抜き取り、貪るようにして読んだという次第。何しろ8シーズンあるドラマの8シーズンを見終えたわけだから、主人公の動作や口調は頭に染み付いている。そのため違和感を覚える箇所がないではないのだが(一番はナタリーの最後の決断。二番は一人称。主要な登場人物の殆どが「私」で統一されている)、その他はまんま「モンク」であった。といっても、読者諸兄は「『モンク』とはなんぞや?」と脳内に疑問符が無数に浮かんでいるに違いない。なので、簡単なあらすじでも紹介しよう。「モンク」で検索してここへ迷い込んだ諸兄は私と共に感傷に浸ろうではないか。
エイドリアン=モンクは凄まじい記憶力・推理力を有している名探偵。幼い頃から神経症を患っていたが、妻のトゥルーディとの結婚によって、かなり症状は和らいでいた。だが、ある日、車爆弾によってトゥルーディは爆死。その日を境に神経症が悪化、警察を辞めさせられる。彼はシャローナというアシスタントと共にコンサルタントとして現場復帰するが、神経症は依然として克服できず……。
この世の恐怖症という恐怖症をこれでもかというほどに詰め込まれたオジサンに、視聴者は魅了されてゆく。なお、ジャンルはミステリ・コメディ。人が死ぬけど、その間に繰り広げられる寸劇が面白い。その片鱗は本書にも見られる。たとえば、
(前略)「子供って、ときにとても有害ないたずらをするだろ。私は八歳のとき、一日じゅう手を洗わずにいたことがある」
「それでここまで生きてこられたなんてラッキーね」
モンクはため息をついて、首を縦に振った。
「若いときは、自分は死なないと思うものさ」
キャラクターを活かしきったギャグだ。これぞキャラクター小説であると思う。正直なところ、本格ミステリを読み慣れた方にはWhoもHowもWhyも解けると思う。というより、中盤で犯人が分かり、トリックも分かり、中盤から後半にかけては犯行の証拠を探すという、中々に挑戦的な構成をしている。そのため間延びしている感もあるのだが(中編でも良かったのではないか)、コメディ小説として読むなら一級品だし、事件自体も中々に面白いものなので、『氷菓』あたりの日常系ミステリが好きな方にはオススメできる、はずである。勿論、人は死ぬけれど。ミステリは本格しか許さん、という方には物足りないかもしれない。
だが、何と言っても贔屓目で見て、私はこの本が好きである。ハマる人にはものすごくハマるし、ハマらない人にはことごとくハマらないような気がする。ネジと同じで、プラスとマイナスしか評価がないんじゃないかしら、なんて気の利いた風な文章で締めくくってみよう。
『おもいでエマノン』(梶尾真治/鶴田謙二)
収録作:表題作
区分:漫画
※ネタバレはありません。
「おもいでエマノン」あらすじ
失恋旅行をすることにした「僕」は船の中で美少女・エマノンと邂逅する。エマノンは、自分は「地球に生命が発生してから現在までのことを総て記憶している」と語るが本当なのかと問うと冗談だと笑い、話題を転換させた。そして翌朝……
「おもいでエマノン」感想
私が大好きな漫画のひとつ。定期的に読み返している。あまりに気に入ったので、原作も買った。どちらも良い。漫画は続編が二巻出ているのだが、さらなる続編を望む次第。ちなみに続編には「僕」は出てきません。
さて、感想。
まず、絵が美しい。風景が異様に美しく、ノスタルジックなのだ。そして、一コマ毎に物語を感じられる。私が一番好きなのは、これに収録されている「エマノンのおもいで」という、台詞のないカラー漫画。台詞がないのにもかかわらず、確かな物語が息吹いている。白黒でも色が浮かんでくる絵だけれど、やっぱりカラーだと段違いに美しい。続編である「さすらいエマノン」は何と、表題作はオールカラー。もし「おもいでエマノン」を読み終えたなら、「僕」が出てこないから……なんて理由で敬遠するのは勿体ない。
そして物語の様式美。期待を裏切る展開、というのはきっとない。物語を読み慣れた人にとっては予測が付くようなオチ。けれど、胸に刻まれる。キャラクターたち(といってもふたりしか主要な登場人物はいないが)の葛藤が愛おしく、美しい。
私が本を読む際に重要視しているのは美しさ。この本は、様々な美しさを包容している、贅沢な一冊なのである。
『壇蜜日記』(壇蜜)
収録作:表題作
区分:エッセイ
※あらすじは省略します。タレント・壇蜜さんの日記です。
『壇蜜日記』感想
私は、壇蜜というタレントに対して真摯に向き合ってこなかったのだと痛感させられた。今までは「可もなく不可もなし」というエラそうな評価をしていたわけなのだが、一気に彼女を好きになった。我ながら単純であるが、半分も読まないうちに、彼女に感情移入をしてしまっていたのだ。
彼女の作品は高校生のころから愛読している。絵も文も大好きだ。しかし彼女のボーイフレンドらしき方が私を毛嫌いしているような記事を読んでしまった。これからこのトマト煮麺を作る度に思い出すであろう……「気色わるい」と言われたことを。その通りだから仕方ないが。
彼女に感情移入をした私は、胸に突き刺さるような衝撃を、この文章から与えられた。きっと、あっさりと書いているけども泣きたいような思いだったのだろう。私だって、私が大好きな人の恋人から「気色わるい」なんて言われたら、泣きたくなってしまう。人に「気色わるい」と書く資格は、誰にもないというのに。もちろん「可もなく不可もなし」という評価をくだす資格だって、誰にもないのだけれど。
ふだん、といってもこの本は五冊目なのだけど、ふだんの文体から少し壇蜜に影響された文体に変わってしまった。このブログはできるだけ作品の雰囲気に合った文体にしようと試みていたが、今回は意識せずともそうなっていた。恐ろしいことである。こんなに恐ろしい感染力を持った文章は、村上春樹くらいにしか書けないのではないか(実はこんなブログをやっているクセに、村上春樹の本を通読したことはないのだが)。
話を戻そう。この作品には、珠玉の言葉が他にもある。たとえば、
遮るものがあるとゆがんだ業が顔を出しやすくもなる。例えば「匿名」という文字を身につければヒトはヒトに研がれた刃を向けることも簡単だ。匿名に託された保護への希望より、匿名の力から得る切り傷のほうが多いのは時代なのだろうか。ただ、切り傷を負っても私は武器を持たずに生きたい。
賢く、強い女性だと思う。この本を手に取った切掛は『文學界』に掲載された「はんぶんのユウジと」を斜め読み(時間がなかったのだ。今度、作品集としてまとめられたら、きちんと買おうと思う)したというものなのだが、文章の端々に現れる知性にノック・アウトさせられた。「強い」という要素は、この日記を読んでから感じたこと。同時に脆く繊細な女性なのだろうと思う。硬度は高いけれど、脆いというダイアモンドにそっくりだ。
荒んだ心に癒やしと思索を与えてくれる良著であろう。
『アジア罰当たり旅行』(丸山ゴンザレス)
丸山ゴンザレス『アジア罰当たり旅行』(彩図社)
収録作;「アジア「罰当たり」編」「南アフリカ「天罰」編」
区分;エッセイ/ルポルタージュ
※短いエッセイ集です。小項目は数えたら「罰当たり」編は27項目、「天罰」編は6項目ありましたが、収録作は大きなくくりということで2つにしてあります。
「アジア「罰当たり」編」あらすじ
アジア各地を放浪する筆者がアジアの「異国」感を全面に押し出して描いた「罰当たり」編。インドの怖さを描いた「ガンガーに流されたバックパッカー」、タイトルで薄々嫌な予感がする「初夜の相手は……」、日本に密入国した過去を持つ女が主題の「密入国ミッション」など、様々な「罰当たり」なことを見聞きしたり、あるいは筆者自身が体現したりしたエピソードが満載。
「南アフリカ「天罰」編」あらすじ
南アフリカの首都・ヨハネスブルグは「最凶最悪の街」と称される危険な街である。筆者はひょんなことからヨハネスブルグに旅立つことに。そこで「罰当たり」なことをしてきたことの天罰かと思われるような目にあい――
『アジア罰当たり旅行』感想
TBSの番組「クレイジージャーニー」でおなじみの筆者は、やはりクレイジー。
だってヨハネスブルグに、
話を聞き終えて、誰もが黙っていた。俺がそれまでにした、危ないっていえば危ないが、どこかお茶目なエピソードと比べると、明らかに迫力が違った。殺気を標準装備した強盗に俺は遭遇したことがなかった。しかし、なんだか悔しい。とてつもなく悔しい。
(中略)
「なんてことねーじゃんか」
その一言だ。それがすべての始まりだった。
というノリで行ってしまうのだ。これでは「おれだってミュウ持ってるし」と言ってから映画館に行く小学生と同じノリではないか。違うのは時間も金も桁違いに掛かるし、映画館には命の危険がないということである。
男色系の話が割合多いのは、アジアだと筆者のような男性がモテるからなのだろうか? たしかに、筆者ほど「男らしい」人間もそう見ない。
高野秀行を尊敬していると同番組で仰っていたが「他の人がやらないことをする」というモチーフは、高野秀行に通じるところがある。ただ「クレイジー」を前面に出したエッセイならばもっとイカれているのはあるわけで(谷口狂至『アジアマリファナ旅行』など)、読み慣れた人にとっては「よく読む話」という感じかもしれない。もっとも、常人には到底出来る話ではないので、この経験をワンコイン程度で買えるというのは安い。日高屋のラーメン+餃子を我慢すれば買えるのだ(Kindleだともっと安い)。
『天使の囀り』(貴志祐介)
収録作:「天使の囀り」
区分;小説/ホラー
※ネタバレはありません。
「天使の囀り」あらすじ
北島早苗は、ホスピスに務める看護師であり、日々患者が死への恐怖を感じているのを見ては心を痛めていた。そんなある日、恋人の高梨光宏がアマゾンから帰ってくる。死恐怖症を患っていた彼は、何故か死に強い興味・関心を抱くようになっていた。一体、アマゾンで何が起こっていたのか? 高梨は「天使の囀りが聞こえる」と言う。そして、アマゾンを一緒に探索していた関係者が、次々と謎の死を迎えいき――
「天使の囀り」感想
貴志祐介の最高傑作であると思う。初期の作品であって話題に上がることも少ないが、少なくともホラーという点において、最も優れている。単行本・文庫本に収録されている作品は「夜の記憶」を含めてすべて読んだ(と思う)ので、堂々とこうした評価をつけることが出来るのだ。
世間では『黒い家』、『新世界より』、『悪の教典』あたりが有名で評価も高いように思われるが(ドラマ化された『硝子のハンマー』もだろうか)、『天使の囀り』にはそれらを遥かに凌ぐインパクトがある。島田荘司が「処女作である『占星術殺人事件』が最高傑作と言われていることに複雑な思いを抱えている」というようなことを言っていた記憶があるが、私がこういう感想を書いた場合、筆者としては複雑な気持ちになるのであろうか。なお、『占星術殺人事件』にリンクがついていると思うが、現時点では一部の人にとってはかなりのネタバレがあるので、閲覧はおすすめできない。
死恐怖症の恋人が死への関心を持ってアマゾンから帰ってくるという序盤の展開からひしひしと伝わる、恐怖の予感。平成12年に初版が発行されているわけなのだが、当時のネットのアングラ感も的確に表現しており、陰鬱な、なんとも言えない雰囲気を醸し出している。
何より、天使の囀りの正体が恐ろしい。
ピッコロのような音色だが、音程が微妙に揺れている。絶えず、半音ずつ繰り上がったり、繰り下がったりしているのだ。不安定だが、不思議な魅力に溢れている音で、思わず聞き惚れてしまいそうだ。
この音色の正体が、まさかアレだったとは……と瞠目すること間違いなしである。
初見のインパクトが物凄いので書かないが、蜘蛛嫌いの青年が中盤で起こす行動には生理的嫌悪感を覚え得ずにはいられないし、まさにホラーとして一級品。ホラー界の寿司である。生魚が嫌いな人にとっては、ホラー界のステーキであると換言して良いだろう。ベジタリアンの方にとっては、ホラー界のメロンだといっても良い。この内のどれも嫌いだという方には、読むことを諦めていただきたい。……お子様舌? 悪うございました。
さて、本筋に戻すと序盤は少し退屈かもしれないが、騙されたと思って、とりあえず読んでいただきたい。お寿司もステーキもメロンも嫌いな人以外は。どうしても読みたかったら、お寿司かステーキかメロンを好きになってから出直してください(別にお寿司もステーキもメロンも作中には出てこないが、これは私の意地である)。
ホラーであるからハッピーエンドではないわけだが、救いのあるラストになっている。冷静に考えてみるとドン底なんだろうが。
参考文献/謝辞には作者の、
本を後ろから読む悪癖を有する読者の存在を考慮し(何を隠そう、私もその一人ですが)、書名はあえて割愛させていただきます。
という心遣いもあるわけなのだが(実は私もその一人である。悪癖であるとは、これを読んで初めて知った)、ちらりと研究所の名前が見えてしまいあれこれ考えることになるので、参考文献/謝辞を先に読むことはおすすめできない。
ただ繰り返しになるが、貴志祐介の最高傑作であろうから、読んでおいて損はなかろう。まあ『硝子のハンマー』あたりのユーモアを期待している方には、オススメできないが。
そのうち貴志祐介の他の作品についても言及するかもしれないが、貴志祐介にハズレなし、ということを覚えておいていただきたい。あれだけ書いていれば少しは肌に合わないのはあるが、かなーり叩かれている『雀蜂』や『ダークゾーン』だって他の平凡な作家に比べれば面白いわけで。貴志祐介は、エンタメの天才です。
『共喰い』(田中慎弥)
収録作;「共喰い」「第三紀層の魚」
区分;小説/純文学
※ネタバレはありません
「共喰い」あらすじ
高校生の篠垣遠馬の父・円は、セックスをするときに相手に暴力をふるうという性癖を持っていた。遠馬の産みの母の仁子は、そんな円に嫌気が差して離婚した。円を軽蔑していた遠馬であるが、恋人の会田千種と交わろうとしたとき、首を絞めてしまい――
「共喰い」感想
芥川賞受賞作。
暗い話なのだけど、不思議と読後感は悪くない。青春小説と書いたら顰蹙を買うかもしれないが、そう言っても問題はないのではないか。親子の血というものを丁寧に描ききった傑作だ。最近、「影裏」が芥川賞を受賞したが、私はこれを読んだとき、ようやく「共喰い」に追いつく可能性のある作家が現れたと思った。
「もらっておいてやる」
という例の会見での発言で物議を醸した作家であるわけなのだが、彼にはそれを言っても許される力量がある。
どうして読後感が悪くないのか考えてみると、文章が美しいことは勿論要因として上げられるだろうが、何よりユーモアがさり気なく交えられているからだと気がついた。本人が意図したかどうかは定かではないが(『田中慎弥の掌劇場』を読む限り、意図したものだと思う)、
お互いにとって初めてのセックスは夏休み前の遠馬の誕生日まで取っておこうという約束を、一か月もしないうちに当然破り、最初のうちは数えていたが、今日が何度目だかも、もう分らなくなっていた。
当然破り、というのが何とも面白い。三人称なのだが「当然」という筆者の私見が述べられている。これがユーモアでなくて、何であろうか。又吉直樹の「火花」には直接的な形で笑いが入り込んでいたが、こうした形での笑いというのはさりげなく、気づきにくい。しかしこうした皮肉のきいた文章が、作品世界を少し明るくしているのだと思う。近年の芥川賞の中で、最も文学の原点に近い作品ではなかろうか。
「第三紀層の魚」あらすじ
小学四年生の久賀山信道は、曾祖父が釣っていたというチヌを釣りたいと思っている。チヌ自体は釣れないこともないのだが、大きい獲物が釣れないのだ。曾祖父は入院中で、死を迎えようとしていた。 そんな中、信道は母から東京へ引っ越すことになると告げられる。
「第三紀層の魚」感想
これも魚が小道具となっている傑作中編。この作品の場合はユーモアに気が付きやすい。文章単体ではなく、文脈の中でこそ表れるユーモアだと思う。
どう考えても相談ではなく主張だった。
は、単体で読んだ場合、そこまで笑えないかもしれないが、あの淡々とした文章の中に放り込まれると爆発的に面白くなるから不思議だ。作者もにやりとしながら書いているのではないか。
直接的な笑いもいくつかあるが、それはぜひ実物を手にとって読んでいただきたい。
勿論これも文学作品として成功している。教科書に全文載せても良いくらいだ。だが「共喰い」に比べると霞んでしまうような気がしないでもない。それほど「共喰い」が圧巻であったわけなのだが、作者としては「共喰い」と比べられるのは本意ではなかろうから、これ以上は書かないでおこう。
『UFO大通り』(島田荘司)
収録作;「UFO大通り」「傘を折る女」
区分;小説/ミステリ
※ネタバレはありません。
「UFO大通り」あらすじ
お婆さんが、宇宙人が戦争をしているところを目撃したとテレビで証言をしたため、息子によって老人ホームへ入れられようとしていた。女の子は探偵の御手洗潔に助けを求める。お婆さんに話を聞きに行った私、石岡和己と御手洗は、宇宙人の戦争の2日前に、お婆さんの隣人が、天井にガムテーブがぎっしりとぶら下がった部屋の中で、シーツを身体に巻きつけ、ヘルメット・ゴム手袋・マフラーを装備して死んでいたのだと聞く。果たして、宇宙人の仕業なのか? 探偵・御手洗潔が、怪事件に挑む!
「UFO大通り」感想
この中編の見どころは「石岡君が可愛い」ところである。もちろんこの中編自体、ミステリとして優れているのだが、この「御手洗潔シリーズ」は石岡君の可愛さで持っている部分も少なからずあると思うのだ。「宇宙人と戦争があった」と婆さんが証言した場所で、石岡君は、
そして御手洗はがさがさと草地に入り込み、斜面をあがりはじめた。私は靴が汚れるし、なんだか気が進まなかった。それに宇宙人の戦争となれば、地面が未知の毒や細菌で汚染されてはいないものか。
「御手洗、ぼくも……」
「君も来るんだ!」
ぴしゃりと言われ、私はしかたなく草地に足を踏み入れ、もぞもぞと斜面をあがりはじめた。
繰り返すが、この作品はミステリ小説である。まあ本人としては深刻なのだろうが、それがまた笑いを誘うのだ。肝試しで怯える我が子を見る親の心情といえば良いのだろうか(子を持たないにも関わらず、このような心情になれるとは)。何というか、こう、可愛いのである。擬音もまたいい。「もぞもぞと」である。渋々と着いていくさまが思い描けるではないか!
さて、石岡君の可愛さについてはまた次回にするとして、ミステリとしてはどうなのだろうか。男の死因が宇宙人の未知の毒があったらいかにも
私は御手洗潔シリーズに現在進行系でハマっているので、他の人が読んでも納得できるかは分からない。だが、氏の作品のほとんど全てに当てはまることだが、中編ミステリとして秀逸であることは間違いないだろう。
「傘を折る女」あらすじ
私、石岡和己が視聴者参加型のラジオを聞いていると、リスナーから雨の中「傘を車に轢かせる女」を目撃したという内容の電話があった。いったい何故、雨が降っているのにも関わらず「傘を折る」必要があるのか? 探偵・御手洗潔はラジオの情報から、事件の臭いを嗅ぎ取って――
「傘を折る女」感想
この中編の見どころは「石岡君が可愛い」ところである。……まあ落ち着いて、批判は引用部を見てから仰ってください。
「ふええ……」
ね? 念のために書いておくと、石岡君は男です。
さて、天丼(?)は置いておいて、あらすじが「UFO大通り」よりも短いのは、手を抜いたためではない。この中編の魅力を伝えるには、これだけで充分だからだ。雨の日に傘を折る理由なんて、考えつくだろうか?
驚くべきことに、御手洗はそんな僅かな情報から様々な事柄を推理してゆくのである。推理というのは"推"測によるわけなのだが、その推理が極めて論理的なのだ。そして的確。やろうと思えばあなたにだって、雨の日に傘を折る理由を導くことが出来るのだ。今、この場で。もちろん、別解を潰すための手がかりは本文にあるわけなのだが。
ネタバレをしないという約束がある以上、これ以上詳しく書くのはマナー違反だろう。このブログの方針として点数を付けることはしないが、間違いなく人に勧めることの出来る作品である。